PL学園、最後の夏… 伝説の終焉と甲子園の記憶【高校野球】
PL学園野球部、休部から9年… 最後の夏を振り返る
かつて甲子園を席巻したPL学園硬式野球部が休部状態となってから9年。あの熱狂と感動は、今も多くの人々の記憶に深く刻まれています。今回は、PL学園が最後に挑んだ2016年夏の大阪大会、そしてその歴史を振り返ります。
最後の夏、最後の12人
2016年、PL学園野球部は部員わずか12名という状況で夏の大阪大会に臨みました。初戦の前日にはアクシデントが発生し、2名の選手が負傷離脱するという緊急事態に見舞われました。しかし、残されたメンバーは最後まで諦めず、全力で戦い抜きました。この「最後の12人」の姿は、多くの人々に感動を与えました。
桑田真澄氏が語る「高校野球の神様」
PL学園OBであり、甲子園で数々の伝説を打ち立てた桑田真澄氏は、かつて「高校野球には神様がいる」と語りました。夏の甲子園には特別な力が宿り、選手たちに勇気と力を与えてくれるというのです。しかし、PL学園の最後のナインには、その「神様」は微笑んでくれなかったのでしょうか。
甲子園での政治問題
甲子園での敗戦が政治問題に発展した例もあります。1985年夏の甲子園で、桑田・清原のKKコンビを擁するPL学園が圧勝した一方で、対戦相手の山形県代表が歴史的な大敗を喫しました。この結果を受け、山形県議会では「どうしてこんなに弱いのか」という議論が交わされる事態となりました。高校野球は、地域や県民の意識高揚にも繋がる重要な問題として捉えられているのです。
岩倉高校がPL学園を破った日
1984年春の選抜高校野球大会では、岩倉高校がKKコンビ擁するPL学園を破り、初優勝を飾りました。この試合で岩倉高校のエースだった山口重幸さんは、清原選手のバントが勝敗を分けたと語っています。甲子園には、数々のドラマと記憶に残る名勝負が存在します。
PL学園野球部は休部状態ですが、その輝かしい歴史と甲子園での活躍は、永遠に語り継がれるでしょう。