広電スゴすぎ!被爆電車「8月9日」運行の意義と感動秘話
広島電鉄:被爆からの不屈の精神、8月9日の運行に込められた想い
2025年8月、広島電鉄(広電)の駅前大橋ルートが開業し、広島駅停留所がJRの改札と同じフロアに移転しました。利便性が向上し、広島市中心部へのアクセスが4分短縮。しかし、2025年8月は広電にとって、そして広島にとって、もう一つの深い意味を持つ日でもあります。
80年前の1945年8月6日、原子爆弾によって広島の街は焦土と化し、広電も壊滅的な被害を受けました。多くの社員が殉職し、路面電車は123両中108両が被災。運行は不可能となりました。
被爆3日後の運行再開:市民を勇気づけた広電の底力
しかし、広電は即座に立ち上がります。被害が小さかった宮島線は、被災翌日に一部区間が復旧。路面電車も架線柱を建て直し、8月9日には己斐―西天満町間(現在の広電西広島―観音町間)で運行を再開しました。焼け野原の街を走る路面電車は、多くの市民を勇気づけました。
広電最古の車両「156号」:5年ぶりの本線走行
2025年8月9日、広電は特別な運行を行いました。それは、広電最古の車両である「156号」の運行です。1925年製造のこの車両は、被爆電車の一両であり、1970年ごろに一度廃車されたものの、再整備を経て1987年に復活しました。シンボリックな運行に徹しており、めったに本線を走ることはありません。
この日、原爆ドームをバックに撮影できる相生橋や、被災後最初に復旧した区間に相当する広電西広島―観音町では、多くの市民や鉄道ファンがカメラを構えました。広電の不屈の精神と、平和への願いを込めた「8月9日」の運行は、多くの人々の心に深く刻まれたことでしょう。
- 広島電鉄は被爆からの復興を象徴する存在
- 8月9日の運行は平和への祈りを込めたもの
- 広電最古の車両「156号」が5年ぶりに本線を走行