日航機墜落事故の真相に迫る!陰謀説と自衛隊員の証言【2024年最新】
日航機墜落事故:護衛艦「まつゆき」関与疑惑の真相
昭和60年(1985年)に発生した日本航空123便墜落事故を巡り、長年にわたり様々な憶測や陰謀説が飛び交っています。特に、当時相模湾で試運転中だった護衛艦「まつゆき」が事故に関与したとする説は根強く、多くの議論を呼んでいます。
しかし、事故当時「まつゆき」に乗組員だった元自衛隊員らは、事故当日の「まつゆき」は東京湾に係留されていたと証言しています。これは、事故原因に関する陰謀説に大きな影響を与える可能性があります。
元乗組員が証言:事故当日は東京湾に
「JAL123便事故究明の会」が国会内で開催したシンポジウムでは、「まつゆき」の元機関長である亀田康平氏と、元補給長の鎗光和博氏が登壇しました。両氏によれば、事故が発生した1985年8月12日、「まつゆき」は東京・豊洲の石川島播磨重工業(現IHI)の東京第一工場の岸壁に係留されていたとのことです。
亀田氏は「当日、『まつゆき』は相模湾にはおりませんでした」と明言し、自身も業務を終えて自室でニュース速報から事故を知ったと語りました。鎗光氏も、当日は事務所で経理業務や会議に出席していたと証言しています。
事故翌日の出航:羽田沖で去来した思い
鎗光氏は事故翌日の8月13日午前7時50分に豊洲を出航した「まつゆき」に乗船しました。羽田空港沖を通過した際、甲板から事故現場を眺め、複雑な思いが胸をよぎったと述べています。
ナイチンゲール記章授与式:春山典子さんの受章
フローレンス・ナイチンゲール記章の授与式が東京で行われ、皇后さまをはじめとする皇族方も出席されました。この式典では、長年にわたり看護分野で顕著な功績を挙げた人々が表彰されます。今回、日航ジャンボ機墜落事故で生存者の救命措置に尽力した春山典子さんが受章されました。
春山さんは、事故から40年経った今も、その教訓を伝える活動を続けています。彼女の活動は、事故の悲劇を風化させず、今後の防災対策に活かすための重要な役割を果たしています。
今回の報道は、日航機墜落事故に関する長年の憶測に新たな視点を提供するとともに、事故の教訓を未来に伝える人々の活動を称えるものです。